墓参

松山から東へ1時間。
周桑郡丹原町の山間に、昔、陶磁器を焼いていた窯があった。
地方の郷土史にたった半ページ、やっと載ってるくらいの地味な窯蹟が我が家系のルーツだ。
幕末までは藩の庇護の元、盛んにやっていたようだが、明治に入って間もなく廃窯。
家族もそれぞれに別れ、祖父は松山に移り住んだ。
そして、時と共に忘れられた。
ウチには皿一枚、残っていなかったから、親の兄妹が昔話をしだす歳になるまで、僕も興味が湧かなかった。
窯蹟といっても先祖代々の墓が残っているだけ。
雑草の合間に陶磁器の欠片が見つかるくらい。
ある日、暇に任せ、図書館で郷土史やら焼き物関連の資料を開いてみた。
次々と資料が出てきた。
雑器ばかりで、美術的価値のある物はあまり製陶していなかったようだけど、県立美術館にも数点、展示されているらしい事も分かった。
それなりに頑張っていたんだ。


現在はすっかり柿と銀杏の畑に変わってしまった風景の中にぽつんと一基、墓がある。
伯父に呼ばれ、ここ数年、よく墓参りに行くようになった。
昨年、伯母が他界してからは毎月6日の月命日が墓参りDayになった。


しつこく誘ってくる伯父は近所に独りで暮らしている。
息子の新宅には伯父のための部屋もちゃんと用意してあるのだが、息子の嫁と気性が合わないのか、一人がお気楽なのか、なんなのか、独りが良いらしい。
遠くの息子より近所の親戚、というわけで、電話がちょくちょく掛かってくる。
最近、下らない用事が増えた。
年寄りには大変だろうが、ホントは寂しいのか、暇つぶしだろう。


この頃は、墓参りは伯父の車を僕が運転するようになった。
でも、これが、辛い。
何がって、往復の2時間、助手席でぶつぶつ、僕の運転に文句をつけるというか小言を言うからだ。
言ってる側は良かれと思って「注意」してるつもりだが、こっちにとってはいちゃもんにしか聞こえない。
親が子供に、彼氏が彼女に、あーしろ、こーしろ。
大抵、嫌われる。
車社会の米国には「バックシート・ドライバー」という言葉がある。
後部座席からも口出されたんじゃたまらない。
気が散って運転に集中できない。
余計危ない。
正直いうと、僕にだって、彼女の運転に偉そうに口を挟んだ時もあった。
でも、「自分がされて厭なことを人にするな」みたいなことを言われて、それから、きっぱりやめた。
単純に、信用しないなら運転を代わるべきなのだが、伯父はお構いなしだ。
伯父にはやたら車線変更する癖がある。
それが当たり前なので、僕にやたら強要する。
いちいち、右だ左だと指図する。
そんなに急いで何処へ行く。
墓参りなんて元々急ぐ必要がない。
急いだところで、墓は逃げない。
伯母も、逃げない。
でも、伯父には通じない。


香川・徳島へ運転して行った時、伯父の間違ったナビのおかげでけっこう迷走した。
でも、それを棚に上げて、また運転にケチをつけた。
「お前は口上だけだ」と。
日の出前から運転し続け、疲れていた僕は、我慢できず、キレて大声出してしまった。
普段、穏和を装ってるだけで僕の正体は、結構、短気なのだ。
車降りても良かったが、電車賃ももったいないので、二言三言、反論して無視することにした。
家に帰ってからも呼び出しを無視していた。
すると、直接、家に来た。
申し訳なさそうに色々と用事を頼んできた。
そういう時だけ老いた風でやって来ては、弱々しく「頼む」と言う。
卑怯だが、イヤだと言えるわけがない。
で、仕方なく、墓参りに出かけた。


3ヶ月ぶり。
天気予報が運良く外れ、曇り空の下、到着。
ため池で水を汲み、落ち葉や枯れた花を集める。
土に還るものは柿畑の隅にこっそり棄てる。
延び放題の夏草に除草剤をせっせと散布。
最近の除草剤は環境団体が騒ぐほど、邪悪ではないようだ。
でも、吸い込んだり、直接摂取が人体に良くないのは当り前。
数年前、知人が除草剤を飲んで自殺した。


合掌。


途中で買ってきた花やお菓子や弁当を伯父がお供えし、線香の煙がたなびいて手を合わすと、墓参りは完了する。


帰り、近くの西山興隆寺へ立ち寄った。
伯父は、四国霊場八十八ヶ所の別格霊場二十ヶ寺で頂ける念珠の珠を集めている。
そこから10分ほどの所にある延命寺にも寄り、珠を買う。
やっとというか、ようやく帰路に着いた。


最後はいつものうどん屋でうどんをおごって貰って終わり。


今回、無視が効いたのか、文句が少なかった。
助かった。