ハウルと動く城

(C) 二馬力・TGNDDDT

上映から20日ほど経ってやっと見ることができました。


宮崎駿監督モノお約束をきっちり踏襲した映画です。
タイトルに、「○○の△△」と「の」の字が入ってます。
始まってすぐ空飛びます。
魔法もたっぷり。
宮崎駿的世界もたっぷり。
イタリヤ調の町並み。
美しい草原や田園風景。
虫みたいなデザインで羽ばたく戦闘機。
女は元気。
男は勇気。


霧の中から動く城が現れるオープニング。
おっと! これが動く城か!
4つ足で移動。
あちこち、モコモコ、ぴょこぴょこ、グラグラ、ふらふら、動いてます。
よく描いてるなぁ、と感心するのは映画を見ているこちら側だけで、映画の中の村人たちなどは「ああ。ハウルの動く城ね」と、興味はありますが、それほど驚きません。
魔法使いたちが身近な設定だからです。
主人公・帽子屋のソフィは街中で魔法使いで美男子のハウルと遭遇します。
ソフィーは多分、この短い邂逅で一目惚れしちゃったんじゃないかな。
でも、ハウルと出会ったせいで、ソフィーは呪いをかけられちゃいます。
90歳のおばあちゃんになっちゃいます。
呪いをかけられたってことを人にも話せない、始末の悪い呪いです。
仕方なく、ハウルの動く城を頼って町を出ます。
ハウルの城はさすが魔法のお城。
でも、女っ気が無いので汚れ散らかり放題です。
ソフィーは掃除婦として住み着きます。
火の悪魔カルシファーハウルの弟子マルクル、蕪(カブ)頭のかかしのカブとの生活が始まります。
世界は不穏、あちこちで戦争が起きています。
魔法使いも戦争にかり出される状況で、ハウルも国王に呼び出されています。
さあ。
物語はこれからです。


原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズ魔法使いハウルと火の悪魔(Howl's Moving Castle)」。
続編「アブダラと空飛ぶ絨毯」も出てますけど、主人公が違うので(結婚したハウルとソフィーが出てきます)姉妹編って感じでしょうか。


宮崎監督は魔法使いになりたかったんでしょう。
監督が身につけた魔法こそが「アニメーション」なんですね。
「大勢の人に夢を見せることができる」魔法です。
凄く素敵で素晴らしい魔法ですよね。
スピルバーグやルーカスは映画という魔法。
イチローは野球で、ビル・ゲーツはウインドウズで。
人々に感動と喜びと笑顔を与えることができる、その力こそが魔法でしょう。
死と混沌の闇の魔法を操るビンラディンなんて邪悪も存在していますけど。
僕の魔法は最近なまってます。
人に夢を与えるどころか、自分が夢想に陥ってる始末。
これじゃもう、呪いです。
そっか!
魔法と呪いは紙一重なんだね。


僕の好きな「天空の城ラピュタ」を5点とすると、3.85点ってところでした。


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ここから下は、まだ見ていない人は読まないでください。


日テレはもの凄い力入れて宣伝してますね。
宮崎モノはまず外さないんだから、
「なんでそんなに宣伝しなきゃいけないの?」
と、逆にいぶかってしまいます。
良いものはいい、で宣伝してるんだと思ってました、見るまでは。


アニメとしてはまぁまぁですけど、映画としては、2.2点です。
謎が残るし、つじつまが合わないところがあったり、他にも不満もいくつか。
原作を読まないと完結(納得)しないお話なのかな?
細かいところをつついて、にわか批評家ぶって鼻を高くしたい訳じゃないんですけど、映画としてはイマイチですね。


ソフィーの呪いこそが一番のキーポイントなんですけど、最後に呪いが解けたのか、解けなかったのか、よく分かりません。
黒かった髪の毛の色が灰色のままなので解けず仕舞いなのかもしれません。
所々で適当に都合良く少女に戻ります。
それは呪いを解く鍵なのかもしれません。
けれど、結局はっきり、こうして呪いが解けました、ってところがないので、不満が募ります。
陰陽師」の夢枕獏さんは名前も「呪」だといい、京極夏彦は呪いは自分の内にあると書いています。
ソフィーの呪いは、「私、長女だから」と帽子屋を続けているソフィーの心の内にある年寄りな部分が具現化した姿、なのかもしれません。
自分自身の問題だから、呪いをかけた荒れ地の魔女にさえ、解くことができなかったのかもしれませんね。
だったら、呪いは解くモノじゃなく克服するモノ、なんでしょか?
でも、そんなこと、子供には分かりません。
深読みする大人もそんなにいません。
わからなけりゃ、原作読め!ってことでしょうか?


ソフィーの声、だめです。
倍賞智恵子の声はおばあちゃんにはいいですけど、少女の声にはまるっきりあってません。
声が低く、太く、はっきり言えば老成しすぎてます。
これでは「寅さんの動く城」です。
ハウルの声の木村拓哉もいつもの鼻にかけた通らない声。


エンディングでハウルの師匠だったサリマンが、
「しょうがないわね、総理大臣と参謀長を呼びなさい。このばかげた戦争を終わらせましょう」
といいますけど、戦争の終結を左右できるってことは、サリマンこそ、荒れ地の魔女より質の悪い魔法使いなのではないでしょうか?


「戦争は悪い」なんて言いながら、戦闘機のデザインなど面白がって作り込んでます。
反戦を謳うなら子供だって目を引かないダサいデザインでいいと思うんですけど、「戦争は嫌だけど兵器は好き」な監督の二律背反がとても気になります。


「面白ければいいんじゃない? そんな難しいこと、考えなくても」
そりゃそうなんですけど。
それじゃあ、電車の中で座り込んでる高校生とかわりないような気もするし。
大衆を相手にしたときは、ちょっと不味いんではないでしょうか?
それが、映画としてみたときの評価が低い原因です。