世にも奇妙な物語

「世にも奇妙な物語 秋の特別編」を見ました。
無性になにか書きたくなりました。
いつものことです。
見終わった後は「あれくらいの話なら、僕にだって書ける」って気になってしまうなぁ。
良くない。良くない癖。
だって、
ホントは書けてないんだもの。


本を読む人間と書く人間の二つに分けるなら、僕は書く側に並びます。
列の後ろの方に申し訳なさそうに並ぶけどね。
最近はシナリオの体をしたモノを書くことが多いです。
昔は小説然としたモノを書いたこともありました。
詩も書きました。
詩だけはノート10冊くらい書きました。
詩は短編も良いところ、楽だからね。
シナリオも小説もいくつも書いたけど、実は、最後まで完結できたモノは一つもありません。
全部、中途半端。
書き続けられないんだなぁ、これが。
困ったことに。
雑念が多いというか、なんていうか。
ひらめいた時はもう、最後まで書き上げる勢いで筆を執るんだけど、あらすじを書き連ねているうちに、ズレてきます。
まずは、ひらめいたモノを全部書いて、脚色はそれからしていけば良いんだろうけど、先に脚色をやっちまう。
あらすじの段階で細かな描写をしてしまうモノだから、思考時間が段々多くなって、仕舞いには筆が止まります。
そのうち、頭の中に、買ってきたお菓子や、今頃やってるだろうテレビ番組がチラチラしだします。
はい。ホントにもうお仕舞い。
終了。
潮が引くように、熱は冷めちゃうの。
仰向けにばったり倒れると、天井を見つめながら、去って行くストーリーテラーの神様を見送ります。
ばいばーーーい。
そんな、勢いだけのアイデアはドラマにも映画にも使えそうにありません。
(勢いだけの映画やドラマがあるのは知ってるけど)
それでも、15分ならいけるかも?
だから、「世にも」見ると血が騒ぎます。


「書く側」になったのは、いつからかな?


ああ。
多分、小学1年生の国語がきっかけだ。
先生が、例えば花やノートや机や靴や、何かになったつもりでお話を書きなさい、そう言いました。
難しく書くと擬人化。
で、消しゴムになったつもりで、字を消すとくすぐったいとか縮んじゃって嫌だとか、そんなこと書いたと思う。
そうしたら、先生が偉く褒めてくれて。
褒められなれしてないから嬉しくて、じゃあ、鉛筆なら、ハサミなら、と次々書いた。
また、褒められて、得意満面。
その日から僕は「書く側」に並ぶようになったんだ。
きっと、あの日から。


今、僕の中には未完成な物語が一つあります。
主人公は二人。
イデアがひらめく度、都合の良い方が主人公になります。
シナリオの形では3話分、勢いで書けたこともあっけど、それっきり、ストーリーテラーの神様は降りてきません。
エンディングを泣きながら書いたこともあったのに(ワープロだったから、「打った」かな)。
そんな事はあの時です。


今日の「世にも…」の第4話は、涙。
最近は、特番の割にイマイチな話が多かったけど、今日は良かったなぁ。
過去と現代が日記で繋がるストーリー。
秀逸。
主人公が「書けなくなった作家」という設定だったから余計良かったのかも。
オチが見えても「世にも…」だけは楽しい。